松江家庭裁判所 昭和51年(家)767号 審判 1976年11月02日
申立人 岡村雄一(仮名)
主文
被相続人亡津山鉄太郎の別紙目録<省略>記載の相続財産を申立人岡村雄一に分与する。
理由
1 申立人は主文同旨の審判を求め、その申立の要旨は、被相続人は昭和八年六月一八日に死亡したが、申立人の養母岡村ハツは昭和三年一〇月頃より被相続人が死亡するまで、病臥している被相続人と同居して療養看護に尽し、被相続人が死亡するやハツはその届出をなして葬儀を執行し、その後も法要をはじめ祭祀一切をとり行うと共に財産の管理・租税の納付等に当つてきた。申立人は岡村ハツと昭和二五年一二月一八日に養子縁組届出をなし、同人が昭和二七年八月一日に死亡した後は、申立人が被相続人の祭祀を事実上承継し、財産の管理・納税等も引継いで現在に至つている。申立人は岡村ハツより被相続人が生前「自分を看病してくれた者に財産全部を贈与する」旨口頭で意思表示をしていたと聞いている。したがつて、被相続人が今日生存していたら岡村ハツ乃至は申立人に全財産を贈与したであろうことが容易に推察できる。そこで被相続人の特別縁故者として本件申立に及んだ。というのである。
2 本件関係記録並びに松江家庭裁判所調査官の調査報告書によれば、叙上の経緯及び旧法時戸主たる被相続人の死亡に伴い家督相続が開始したが、法定・指定の家督相続人はなく、また家督相続人の選定もなされなかつたため、相続人不存在として相続財産管理人に戸田治夫が選任され(当庁昭和四九年(家)第一〇〇七号相続財産管理人選任事件)、その後相続債権申出の公告、相続権主張の催告(当庁昭和五一年(家)第一八号相続人捜索の公告事件)などの手続がとられたが、催告期間内に相続人の申出のなかつたことが認められる。
3 ところで、被相続人が病気になつた当時は、社会福祉政策が不充分であつたことから、被相続人が財産贈与の意思を抱いて自己の病気の看護者を求めたことはうなずけるし、さらに積極的に被相続人がその生存中に相続人の無いことから、自己の財産の帰趨に思いをいたしたならば、生計を同じくして看護に当つてくれている岡村ハツに財産を贈与もしくは遺贈し、ひいては同人の養子である申立人がその財産を相続したであろうことが推察できる。
よつて、申立人はこのような意味で被相続人の特別縁故者というべく、民法九五八条の三第一項に則り主文のとおり審判する。
(家事審判官 今枝孟)